ゴールドマン・サックス式日米複合型人材鍛錬法

source from http://www.president.co.jp/pre/20061218/003.html

ジャーナリスト
溝上憲文 = 文
text by Norifumi Mizoue
みぞうえ・のりふみ●1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部卒業。雑誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、雇用問題を中心テーマとして活躍中。著書に『年金革命』『隣りの成果主義』『超・学歴社会』他。近著に『団塊難民』がある。

隣りの成果主義 (ペーパーバックス)

隣りの成果主義 (ペーパーバックス)


高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi



チームワーク重視など
外資系らしからぬ人材戦略を展開

 外資系、とりわけ米国企業の人事手法といえば、即戦力型の中途採用にはじまり、部門間の異動が容易ではない絶対的な人事権を持つボス型支配、さらには短期的業績重視の成果型報酬とバッドパフォーマーに対する容赦なきリストラといったイメージが強い。
 当然、そんな職場では自分の実績を上司や周囲にことさらアピールしたくなる。いわく「このプロジェクトは私のアイデアと人脈を駆使したリードがあったからこそ成功したのです」と。最近では成果主義の浸透にともないこうした“自己アピール力”が尊ばれる風潮が外資に限らず日本企業にも蔓延しつつある。
 ところが、本家の外資でそうした風潮を徹底的に排除しようとする企業も存在する。外資投資銀行ゴールドマン・サックス証券はチームワーク重視を金看板に据える。
「『I did』、私がやったと言うな、『We did』と言え、というカルチャーがあります。あまり私が、私が、と訴えると『What are you talking about(何を言っているんだ)?』と叱責されるほどチームワークを最大限に重視しています。入社前の学生も面接で判で押したように『御社のチームワークが』と答えるほど知られていますし、半ば宗教のお題目のようだと言われるほどです」(渡辺治子人事部長)
 チームワークへの執拗なこだわりはまるで一昔前の日本企業のようだが、もちろんそれなりの理由が存在する。
「現在の金融は複雑な世界になっています。一つの商品でお客様が満足するというレベルではなく、個々の専門家がいろんなアイデアを駆使してお客様が求める商品を開発する。あるいは複数の商品を組み合わせたサービスを提供していく必要があります。この分野では自分はすごいと主張しても、それだけで結果に結びつくわけではない。お客様が求めるベストなサービスを素早く提供するには、瞬時にプロジェクトチームを結成し、しかもグローバルベースで展開することがビジネスでの勝負を左右するのです」(渡辺部長)
 チームワーク重視は同社の経営理念でもこう宣言している。
〈わが社はあらゆる面においてチームワークを重んじる。個人の創造性は常に奨励されるものであるが、最高の結果はしばしばチームワークによってもたらされることを、わが社は経験によって知っている。個人の利益を顧客やわが社の利益よりも優先する者をわが社は必要としない〉
 じつはチームワークに限らず、冒頭に述べた外資系企業のイメージをことごとく覆す人事戦略を展開している。それはまるで日本企業が捨て去った日本的経営の“美風”を深化させ、外資系の持つ長所と組み合わせた“ハイブリッド型”とも呼ぶべき手法である。
 たとえば同社の新規採用者は年間約100人。もちろん中途も含まれるが、とくに重視しているのが新卒採用だ。通常、新卒学生相手の説明会では人事部門の担当者がメーンとなってスピーチするのが一般的だが、同社ではマネージングディレクター(MD)と呼ぶ経営層が勢揃いして自社のアピールをする。それだけではなく、中途も含めて採用に至るまでに20人程度の幹部の面接を実施するなど、文字通り採用活動は全社挙げての一大イベントである。
 渡辺人事部長は「人事部がリクルーティング・イベントへの参加を経営陣にお願いしても、ノーという返事はありえない。どんなに忙しくても無理にでも日程を調整してスピーチを行うのがシニアの経営幹部の重要な仕事の一部という意識が浸透している」と言い切る。人材こそ資本および信用と並ぶ資産と位置づける同社の経営理念がここでも貫かれている。
 そのうえで新卒にこだわる理由として渡辺人事部長はこう強調する。
「当社はカルチャーに対する思い入れが非常に強い。カルチャー・キャリアー、カルチャーを運ぶ人のことですが、つまりどこに行ってもゴールドマン・サックスのプロフェッショナルとして模範を示し、カルチャーを体現できる人を大事にしています。そのために入社後、トレーニングを極めて重視しています。10〜15年後にカルチャー・キャリアーとしての価値を持つ人材に育ちますし、また彼らが中途採用者のメンターとしてトレーニングすることで急速にカルチャーが浸透することにもつながります」

ロジカル・シンキング (Best solution)

ロジカル・シンキング (Best solution)

新卒を3年で一人前にする教育システム

 ここにはまぎれもなく日本企業の専売特許であった新卒一括採用方式と同じ精神が流れている。平たく言えば真っ白なキャンバスを企業文化・社風という独自の色に塗り替えることである。それによって社内に規律と団結、そして忠誠心を育もうというものだ。そのためにかつて日本企業も世界に冠たる多大な人材教育投資を注ぎ込んできたが、同社も人材投資では日本企業に勝るとも劣らない。
 たとえば内定後の10月以降から入社までの期間に会社の費用補助による海外での語学研修制度も用意されている。また、入社後は上司とは別に仕事上の細かい相談や指導を行うメンターがつく一方、プロフェッショナルとしての知識・経験を磨く網羅的な研修メニューも用意されている。具体的には入社後、約2週間の全部門合同の新人研修において会社概要・事業内容・会社の歴史および企業文化などについてのオリエンテーションおよび金融市場や会計の基礎知識を習得する。
 その後配属部門で独自のカリキュラムに基づいた教育とともに個々人のレベルに応じたOJT(職場内訓練)が実施される。さらに業務に関する基礎知識や語学力が一定の水準に達すると、今度は全世界の新入社員を対象にした部門ごとの研修プログラムが、世界の各地で2〜6カ月にわたって実施されるなど計画的な育成が施される。
 新卒だけではなく、中途についても同様にメンターが張り付く一方、年に2回、同社の会長自ら講師となるビジネスカルチャーの講義をはじめ、「新卒、中途採用者に対する教育には膨大なコストをかけており、新卒であれば3年程度で戦力となる能力を身につけることが可能になる」(渡辺部長)という。
 もちろん3年で研修が終わるわけではない。全社的な計画的育成だけではなく、OJTを通じて獲得したビジネス能力、何より本人の希望や意欲に応じて選択できるさまざまなトレーニングメニューも用意している。キーワードは「求めよ、さらば得られん」である。
「すぐれたプロフェッショナルになりたいと思えば、口を開けて待っているだけではいけません。仕事だけではなく研修についても自分からつかみにいくというキャリア形成に対する自己責任の考え方を企業文化として意識付けするようにしています。たとえばデリバティブの知識習得などの実践的な研修から、いずれチームをマネジメントしたいと思う人に対するリーダーシップ研修などあらゆるレベルに応じた研修も用意しています。学生説明会でも『この会社に入ったら一生勉強が終わることはありません』と強調しています」(渡辺部長)
 一般的に外資系証券会社の中には、入社後に厳しいノルマを課せられ、3年間の実績しだいで首を切られるケースも少なくない。同社はそうした短期の業績重視志向ではなく「そのまま継続して会社でキャリアを積んで成長していけるオプションが常に用意されている」(渡辺部長)など長期雇用に軸足を置いた人材育成を標榜している。同社の社内資格は入社後のアナリストに始まり、アソシエイト、バイスプレジデント、MDという4段階の階層に分かれる。すでに10〜15年で経営層のMDに昇格した新卒入社の社員も少なからず存在する。
 もう一つ、外資系特有の人事システムとして部門別採用によるボス型支配という特徴がある。一方、その弊害として、日本企業以上にごますりや情実が横行し、評価にも影響しやすい、また、部門をまたがる異動がないために優秀人材の流出が発生しやすいという問題点もある。同社も部門別採用であり、部門を超えた定期異動はないが、それに代わるものとしてグローバル規模の社内公募制度を実施している。
 社内のウェブサイト上に世界各地の部門の募集要項が掲載され、異動を希望する社員は職務経歴書を添えてメールで直接応募する。入社前に異動できますと説明する外資系は多いが、実態としては希望しても違う職種に異動できるチャンスは極めて少なく、公募制度はあっても実質的に機能していない企業も多い。同社では一週間に一回の募集メールが届くなど「異動する社員は結構多い」(渡辺部長)という。
 さらにボスの適正な評価と社員の納得性を高める手法として導入しているのが「360度人事評価制度」である。毎年1回、被評価者一人について部下、上司、同僚の約10〜20人が評価する。被評価者は管理職だけではなく入社直後の社員から経営トップまでの全社員が対象となる。評価者は数十におよぶ評価項目ごとに被評価者のレベル付けをするとともに、本人が成長するための改善点について3〜5つのコメントを記載。その結果は一人の社員ごとに数十ページのレビューにまとめられ、上司にフィードバックされる。
「マネジャーは項目ごとの定量的評価と具体的に記載されたコメントが記された部下のレビューを見て、ビジネス上のスキルはどう評価されているのか、あるいはチームワークはどうなのか、リーダーシップに欠けている点はどこかについて把握し、どういう評価を下すべきか考えます。同時に来期に向けて部下をどういうふうに伸ばしていくかを真剣に考えてパフォーマンスレビューについてのまとめを書いて部下との面談に臨みます」(渡辺部長)
 レビューディスカッションと呼ぶ面談の時間は約1時間。2〜3日前に面談の日時を通知し、レビューを受ける部下は事前に自分の言いたいことや聞きたいことをメモして臨む。上司の側もあらかじめ決められた日時は「どんなに忙しく、またお客様に会わなくてはいけないからという理由でキャンセルすることはしないようにと周知を徹底している」(渡辺部長)。
 レビューは同社が最大の価値を置くチームへの貢献度も一目瞭然となる。仮にチームでの主導権を取りたいがために教えるべき点を教えていなければ痛い目に遭うことになる。レビュー結果の報告を受けて「頭にくる人もいれば、喜ぶ人もいるなど感情面を露わにする人も出てくる」(渡辺部長)。
 たとえ絶対的な権限を握るボスであってもレビューの洗礼を受けることになり、当然勝手な評価は許されない。360度評価結果は上司の横暴な言動を牽制するだけではなく「社員にとっても自分はフェアに評価されていると思う」(渡辺部長)という重要な機能も果たしている。

 同社は、360度人事評価制度については評価者の選定からレビューディスカッションに至るまで約半年の時間を費やしていると同時に、評価者および被評価者相互のトレーニングも継続的に実施している。
 日本的経営の長所を企業文化として取り入れているといっても、もちろん年功序列の発想は微塵もない。若い内から実力・成果主義の考え方が徹底的に植え込まれる。
「丁稚奉公という発想はありません。新卒であっても、貴重なプロフェッショナルの一人として1日も早く花開くことを願ってさまざまな人材教育をしています。当然、互いに競争することになりますが、決してライバルの足を引っ張るのではなく『彼は上司からいい仕事を与えられたが、次は自分が大きなプロジェクトに参加できるようにもっと努力しよう』というヘルシーなコンペティションを生み出していると考えています」(渡辺部長)
 会社の利益に貢献する社内の健全な競争を作り出すための環境をどう構築していくのか。日本的経営、あるいは米国流の経営にこだわらないゴールドマン・サックス証券の取り組みは流行に流されることのない普遍的な人材マネジメントのあり方を示唆している。


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